「やりたいことほどやってはいけないような気持ちになる」
という呪いを知っている人がいたら、今月は、その呪いの一糸がぷつりと切れた体験について伝えたいと思う。
先月のテーマを通して、次の制作でも「やりたいのにやっていないことを」と思ったのは自然なことだった。
だから、その筆頭であるコラージュ技法で、詩のための挿絵を描いてみようという考えがよぎったとき、すぐ飛びついた。
コラージュは、平面と立体の要素が混じるのが好きだ。
ベースとなる紙にペイントされた、二次元の世界。
その上に貼り付けられた、物質感ある素材は、こちら(三次元)の世界との架け橋になる。小さな次元変換の魔法が起きるんだ。
そしてまた、コラージュはモチーフに別の見え方を与えるので、ポエティックな表現に向いていると思っていた。
この数年に書きためた詩の束から短い詩を3つほど選び、スケッチをはじめるがなかなかうまくいかない。
ああーこれだ!
そう、詩に挿絵をつけようとすると、いつも迷子になる。
せっかく解釈の余地をもたせて作った言葉の世界を、限定的すぎるイメージにおさめてしまう絵や、あるいはただの文章のやまびこのような絵はいやなのだ。(わたしはセンダックの絵本論を崇拝している!)
並行世界が必要だ。
そこで浮かんだのが彼女だった。
彼女は最初、こんな走り描きで現れた。
そしてこの子は……それから長い間わたしのスケッチブックの登場人物なのに、どういうわけか、わたしはずっと描いてはいけないと思っていた。
「やりたいことほどやってはいけないような気持ちになる」
いったいどんな魔物が、いつわたしに呪いをかけたのか!?
けれど、今こそ反逆してみせよう。
わたしはこの思いつきに奇妙に惹かれ、小さな、ひどい(!)走り描きをはじめた。
うん。
そうだ。
これでいい。
わたしを、わたしたらしめる愉快な感情が生まれ、
わたしに、わたしという形が与えられた。
そんな気分だった。
自分のらくがきに満足し、わたしは水彩紙に清書した。
コラージュの素材に使ったのは、棚の奥にたくさんあった古い茶封筒と、扱いやすいオリオンのバロンケント紙(やさしい白が素敵な紙。おそろしいほど白い紙はどうも苦手だ……)。
茶封筒にしたのは、エミリ・ディキンスンの「This is my letter to the world」にちなんだのと、毛羽立ちや折り目などで有機的な空気を得られることを期待して。
制作を始めると、すぐに興奮した。
楽しくて鼻血が出そうだった。こんなに楽しいことを禁じていたなんて!
さあどの部分にコラージュを使おう?
素材の使い方に意味がなければ、表現の領域にいけないと感じていた。だから一定の法則性を見いだしたかった。
最終的には、たとえ正しいように思えても紙の着せ替え人形のように感じる使い方は避けた。
すべての表現には意味があるべきだと思うが、意味づけにこだわりすぎて、五感を失うほうが怖かった。
意味が整うことより、意味を感じることの方を信じよう。
うーん、制作過程を写真に撮れればよかったな。
完成した一連の絵は、ぜひ小さな詩と一緒にどうぞ。
呪いの糸の一端は、静かに、でも確かにはじけた。
少なくとも、反逆できることは証明したのだ。
もうこれからは、やりたいことを禁じないと誓おう。
月ごとの制作も、「やりたいのにやってこなかったこと」に挑戦するというコンセプトでコンパスの北を固めよう。
やりたいことをやるべきだ。
なぜなら、そこには希望がある。
希望を持つことと、作品を作ることは同じだ。
まだこの世にないものに向かうのだから。